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Jazz Pianist
Takeshi Asai's Travel Journal
Official Site

UK & France 2018
June 24 - July 13, 2018

Texts and Photos by Takeshi Asai

  1. 第1話 6月25日(月曜日) ロンドンへ
  2. 第2話 6月26日(火曜日) グリニッジ
  3. 第3話 6月27日(水曜日) ロンドンでシェフ修行
  4. 第4話 6月28日(木曜日) ロンドンブリッジとロンドンタワーとタワーブリッジ
  5. 第5話 6月29日(金曜日) ロンドンのレコーディングとフィッシュ&チップス
  6. 第6話 6月30日(土曜日) ロンドンのコンサート
  7. 第7話 7月1日(日曜日) アビーロードスタジオ
  8. 第8話 7月2日(月曜日) サウス・ケンジントン
  9. 第9話 7月3日(火曜日) ユーロスターでパリへ
  10. 第10話 7月4日(水曜日) パリの休日、映画のロケ地巡り その1
  11. 第11話 7月4日(水曜日) パリの休日、映画のロケ地巡り その2、マーティン・スコセッシとテイラー・スウィフト
  12. 第12話 7月5日(木曜日) ”神々の黄昏”
  13. 第13話 7月6日(金曜日) パリのコンサートとモンマルトルの夜遊び
  14. 第14話 7月7日(土曜日) 南へ
  15. 第15話 7月8日(日曜日) 西へ
  16. 第16話 7月9日(月曜日) 古都アングレームの休日 その1
  17. 第17話 7月10日(火曜日) 古都アングレームの休日 その2
  18. 第18話 7月11日(水曜日) ”真夏の夜の夢”
  19. 第19話 7月12&13日 最後の二日は強行軍

第1話 6月25日(月曜日) ロンドンへ

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今年の夏はロンドンとパリに出かけることになった。ロンドンで、ある女性シンガーとアルバム制作でスタジオに入り、ロンドンとパリでコンサートをする。その後は今や年中行事になったフランス人のトリオでの南フランスツアーである。

海出発前日の土曜日は深夜までマンハッタンのクラブで演奏して、なかり疲れていたのであるが、日曜日に頑張って起きて荷造り、夕方に慌ただしくJFKに向かう。今年は初めての土地で初めてのプロジェクトを行う、しかもパートナーが美しい女性シンガーと言うのも緊張に拍車をかける(笑)。祈るような気持ちで家を出る。

初めて利用するノルウェイ航空は、チェックインでかなり待たされたが、乗ってからはスムーズで、極度に疲れていることを幸いに珍しく機内でぐっすり眠ってしまった。午後11時に出発し、午前11時にロンドンのガトウィック空港に到着。いきなりエリザベス2世の若い頃と今の顔が大きく壁画になっている。そう、ここは君主国家なのだ。ロンドンは1998年に立ち寄った以来20年ぶり。空港から宿泊先でもある彼女の家までスムースに電車で移動した。童謡で有名なロンドンブリッジまで行き、そこから乗り換えて25分。駅で美しい女性がブロンドの髪をなびかせて、6歳の息子さんと手を振って出迎えてくれた。今回一緒にプロジェクトを行うモニカである。

タウンハウスというべき瀟洒なレンガの建物が並ぶ。築1904年というから100年以上。隣の家とつながっている。そういえば、「Young Victoria」という映画の中で、求婚中のアルバートが庶民が住むための集合住宅のアイデアを若き日のヴィクトリアに熱く語るシーンがある。「一つの建物に複数の世帯を入れればエネルギーの効率がすごくいいんだ」。なるほど、100年前に作られたエレガントでかつ効率のようこの家々は、ヴィクトリアのプロジェクトだったのかもしれない。ロンドンの住宅はほぼ全てが一戸建てならぬ二戸建てで、今まで見たことのないくすんだ茶色のレンガでできている。現地の友人によると、これが産業革命時代のレンガだそうだ。

Fogy Dayと言う有名なスタンダードがあるが、いつも霧がかかって雨っぽい日が続くロンドンの印象とは裏腹に、私が着いた街はカラッと晴れて、南フランスかと思うくらい天気の良いロンドンであった。が、地元の人はロンドンらしからぬと言いながら、ラジオの声も街も皆この夏をエンジョイしている風であった。

着いたその日に現地の友人が、ディナーに誘ってくれた。普通は、ホストしてくれる人のところでゆっくりするものだがと思いながら、仕向けてくれたUberに乗って出かける。

20年ぶりのロンドンは全てが新鮮だ。タクシーからみる景色は、夕刻の美しい陽を浴びてすごく綺麗である。途中で、広大な芝生の広場と非常におしゃれなレンガの街がある。思わず運転手に聞いてみると、Blackheathという街だそうだ。あとで知ったのだが、ガイドブックにも載っている有名な街だ。ただ、広大な芝生広場は昔の共同墓地で沢山の人が葬られているからそのまま家を建てられないでいるとか。Blackheathという名前はそこから来ているそうだ。そういえば、広い敷地の中にポツンと教会が立っている。墓地の中の教会だったのか。もちろん、今では沢山の人が日向ぼっこして、基本的には高級住宅街なのだそうだ。あとで絶対に遊びに来よう!

さて、ほぼ強制的に招いてくれる友人は、イレインという女性で、数年前にFBで知り合って、一度も会ったこともないのに、昨年パリのコンサートにユーロスターで友人を沢山連れて来てくれた。FBというものは、バーチャルなものだと思っていたのだが、時として本当の友達と出会ってしまうこともあるようだ。わざわざ出かけて来てくれた仲間の一人が、今回プロジェクトを行うまで発展したシンガーであった。

イレインの小さいが綺麗なアパートで、離婚してしまった旦那さんの代わり(笑)に、彼女の子供達と一家団欒で食事をした。何か変だが、着いたばかりのロンドンで状況がよくわからない(笑)。夕食を美味しくいただいたら、元ご主人がやって来て、私をモニカの家まで送ってくれた。彼は、グリニッジ大学のコンピュータサイエンスの教授で、大学はそう遠くはないので、是非グリニッジに出かけると良いと教えてくれた。グリニッジ、そう、GMT(Greenwich Mean Time)、世界標準時間のグリニッジ天文台があるところである。

時差は何気にきつい。夕食でワインを一杯飲んだだけで、もう目が開けられなくなって部屋に退散。モニカのご主人の弟さんが遊びに来るとのことだったが、どうやら眠りに落ちてしまい、気がついたら深夜一人で目が覚めた。御免なさい。

(続く)

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第2話 6月26日(火曜日) グリニッジ

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さて、時差のせいで早朝に起きて、モニカの家で二人でリハーサル。今回のプロジェクトの目玉は、私の曲に彼女がフランス語で歌詞をつけてくれて、見事にシャンソンになった数曲だ。私がNYでバンドを、彼女がロンドンでボーカルをレコーディングして遠隔地で完成させた。それ以外にも、彼女は素晴らしい曲を沢山書いており、カバー曲と合わせて音にしていく。実は、ロンドンとパリでコンサートができるだけのプログラムが作れるかが心配であったが、このリハでなんとかなった。こいつは嬉しい。「タケシ、この後は何をしようか」との彼女の問いに、「じゃ、私はグリニッジに遊びに行く(笑)」ってな感じで、私は街に観光に出ることにした。

彼女の指導で、バスや電車に乗るためのOysterカードを買って、ロンドンの象徴である赤い二階建てバスに乗る。私はバスよりも電車派なのであるが、ここでは話は別だ。早速二階に上がり、最前列に座りビデオを撮った。目線が高く、しかもスピードがかなり早い。このビューはほかではない。FBに載せたら好評であった。でも、なんでみんなもっと騒がないんだろう。不思議だ(笑)。

モニカのアドバイス通り、昨日タクシーから見た大きな公園を歩いて横切ってグリニッジ天文台へ。これが世界の標準時間の発信地なのだ。正式な名前はRoyal Observatory, Greenwich、そう、王立なのだ。時は啓蒙時代、絶対王政で国家権力を手中に収めた各国の君主は自然科学を探求し、それを国力の向上に利用した。イギリスが世界に植民地を展開できたのも、この天文台のおかげだと思う。英語が世界共通語になったのもそのためである。

天文台は丘の上にあり、そこから絶景が広がる。眼下には広大な緑が広がり、そこに宮殿が建っている。その向こうにはテムズ川があり、はるかにロンドンの有名なファイナンシャルディストリクトの高層ビルが見える。

丘を降りてみた。その宮殿にはクイーンズハウスとある。庭にラベンダーとバラが綺麗に咲いている。イギリスの歴史には必ずバラが登場する。ランカスター家の赤いバラ、ヨーク家の白いバラ、チューダーの白と赤の合わせバラ、それをまとめてバラ戦争という。そのバラが宮殿の庭に植わっているだけで、歴史の重みを感じてしまうのは私だけだろうか。

チューダー王朝の創始者、ヘンリー8世はロンドンに沢山の宮殿を作った。残念ながら現存するのはかのハンプトンコートだけなのだが、ここにはかつてグリニッジ・パレスという宮殿があったはずだ。今、私の目の前に立つこの小さな宮殿は、ヘンリー8世のものではないが、クイーンズハウスと名付けられているところをみると、おそらく彼と二人目の妻Anne Boleynの娘、エリザベス1世のものであろう。

イレインの元旦那さんが教えているというグリニッジ大学のキャンパスにも足を踏み入れてみる。荘厳な建物だ。この茶色のゴシック感はフランスではない。建築は17世紀のSir Christopher Wrenによる設計で、当時はルイ14世のベルサイユ宮殿よりも美しいと言われていたそうだ。誰がそう言ったのか気になるところだが(笑)。

何れにしても荘厳で何か訴えかけてくる。いつも思うのだが、本当に素晴らしい情報は、ガイドブックではなくて、人の口から伝わって来る。今回も見事にそうであった。

しばらく歩くと、音楽院(コンサーバトリー)がある。Trinity Laban Conservatoire of Music and Dance、その綺麗なコートヤードの中に入ると、それぞれの窓から違う音楽が聞こえて来る。これはビデオを回して散歩だ。歩くに従って複数の音楽がフェードイン・フェードアウトし、時々クイーンズイングリッシュの話し声が入る。ドビュッシーのあるピアノ曲の発想だ。自分がバークリー音大の学生だった頃の記憶がまざまざと蘇る。

そのまま歩いてテムズ川に出る。川の水は濁った茶色でどんより蛇行している。で、それがロンドンの街の地形となっている。

19世紀に中国からイギリスまで紅茶を輸送するティークリッパー(快速帆船)として活躍したカティーサークが展示してある。この国は海の派遣を握った。古くはエリザベス1世が、税金を収めさせて海賊を認め、スペインとの開戦時にはその海賊たちを集めての無敵艦隊アルマーダの大編隊を小回りの効く小さな船と火ぶね作戦で破った。エリザベスは自ら鎧を纏って有名なスピーチで兵士を鼓舞した。

素晴らしい午後を過ごして、二階建てバスが通り抜ける街を歩いて電車で帰宅。が、ロンドンの電車網は東京以上に複雑だ。同じホームでも電車ごとに行き先が全く違う。三回乗り間違えて最後は30分歩いた。

昨日のリベンジで、モニカの旦那さんの弟さんが遊びに来てくれていて、夕食を待ってくれていた。日本が大好きな若者で、かなり話が合ってしまった。

と言いつつもやはり夕食を食べるともう眠くて起きてられない。9時に退散させてもらって、そのまま深夜2時まで熟睡、そのあとは目を開けて天井を見ていた。時差はきつい。

(続く)

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第3話 6月27日(水曜日) ロンドンでシェフ修行

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朝から天気がすこぶる良い。まるで南フランスのようだ。こんな良い天気の夏は、ロンドン子には最後いつだったか思い出せないそうだ。

昨日に引き続き、今日もモニカと二人でリハをする。たくさんの曲をこなした。不安もあるが、あとはバンドが集まったリハでなんとかなると問題を先に引き伸ばして、また遊びに行く(笑)。というか、イレインが3時にピックアップしに来て、二人で買い物。その日は彼女の友達みんなにご飯を作る約束になっている。

思うに、世の中は誤解でできている。自分が作った下手くそ料理をFBに挙げているうちに、なぜか私は料理が上手いと勘違いされて、一度ロンドンに来たら作ってくれないかと請われ、断れなくなってしまった。こいつは困った。大体私は本業のコンサートとレコーディングで来ている。それだけでもプレッシャーはすごくあるはずなのに、他人の台所で、慣れない調理道具で、外国の食材で、みんなに料理を振る舞う?有り得ない。しかも彼女の妹さんはベジタリアンだから、それに合わせてくれとくれと言う。あのー、プロのシェフじゃないんですけど(笑)。しかも、料理前に、イレインの子供達を学校まで迎えに行くのに付き合わされてしまう。私はお父さんでもないんですけど(笑)。

と言いつつ、ロンドンで二児の父親を経験するのも良いかも(笑)。と言うんで、その仕事を引き受けることにした。そもそも彼女のお陰で、今回の音楽パートナー、モニカと出会い、彼女の後押しでこうしてロンドンにくることができたのだ。礼をしなければ。

と言うので、彼女の運転で近くのスーパーに行く。もう、お馴染みになってきたお洒落な街、Blackheathの由緒ある音楽学校の前を行き来する。UKのスーパーは初めてだ。意外なことに、工業国という勝手なイメージに反して、ブリティッシュ国内産の野菜が沢山出ている。本当は、カレーを作ると楽で良いのだが、ルーなぞ売ってはいない。カレーのルーの代わりに醤油で味つければ肉じゃが、ベジタリアンの妹さんに合わせて、肉を魚に代える。良いマグロが売っていた。それに、美味しそうなサツマイモがあったので、ホイル焼きにしよう。子供達は喜んでくれるだろう。ゴマが売っていたので、醤油ゴマドレッシングを作れば和風と言える。

折しも、彼女の妹さんが来る日だし、二人の祖国ブラジルのW杯の試合がある。ツアーできているのに、一体何をやっているんだろうという疑問があるが、時には無我になって他の人を喜ばせる必要はある。というので、頑張って料理をした。前菜は、ラディッシュの葉の御浸し、サラダはモヤシとラディッシュに醤油とゴマのドレッシング、メインは、肉じゃがならぬ「マグロじゃが」、箸直しに、サツマイモのキントン。どうだ(笑)。みんなイギリス風に一つの皿に全てを乗っけて混ぜてしまい、挙げ句の果ては、白いご飯にドレッシングを書けられた!が、子供も大人も喜んでくれた。

いつの間にか、調理中の写真がFBに出回っていた。冗談だろうが(笑)うちにも来て調理してくれという人が現れた。その縁で、イギリスのジャズジャーナリストが、明日のロンドンのコンサートに来てくれることになった。

でも、喜んでもらえたので、シェフと誤解されていようがなんだろうが、私は嬉しかった。しかもブラジルが勝ってしまったので、いつの間にか私は幸運を呼ぶシェフになってしまった(笑)。

イレインも妹さんも、ブラジルからやって来た移民だ。私がNYで移民として生活しているように、移民としてこのロンドンで働いて生活をしている。そう思うと彼ら全員を心から愛おしく感じてしまう。モニカは、ポーランド人、旦那さんはパキスタン、実はロンドンも人種のるつぼなのである。そのせいなのか、みんな私に親切にしてくれる。私も彼らの苦労がわかる。きっかけはFBなのだが、どういうわけか随分前から友達であるような気がする。

ネイマールの活躍でブラジルが勝って、すっかり気分が良くなったイレインが、モニカの家まで送ってくれた。日曜日は、二人でアビーロードにデートすることに、出かける前から決まっている。私が音楽家になったのは、中学時代に聞いたビートルズで、初めて自分の小遣いで買ったレコードがアビーロードだったと思う。いつか、アビーロードスタジオに行って、有名な横断歩道を渡ってみたいという夢を叶えてくれるのがイレインだ。ありがとう!

(続く)

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第4話 6月28日(木曜日) ロンドンブリッジとロンドンタワーとタワーブリッジ

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朝起きたら、打って変わって寒い日となっていた。長袖を着なければ。これが本来のロンドンだそうだ。朝食を手短にすませ、ついでにモニカが昼のサンドイッチも作ってくれる。カナプカというオープンなサンドイッチでハムとキュウリが美味しい。駅前には、日本のコンビニのような、インド人が経営している汚い(失礼)が良い感じの店があって、そこでオイスターカードにRefill(ここではTop it upと言う)してモニカと一緒に電車に乗る。今日は、レコーディングとロンドンのコンサートのリハーサルで、スタジオに行くのだ。

駅を降りて、かなり歩くが、何せ景色が珍しいので全く苦にならない。ちょっと緊張気味で、スタジオに着く。びっくりするような大きな店で、照明やらドライアイスのスモークマシンやら、PAやらののコンサートの機材の倉庫に練習スタジオ、廊下には冷蔵庫もあってコーヒー紅茶入れ放題、しかも中庭まである。これはNYには無い。少年時代日本で使っていた楽器屋のスタジオの5倍の大きさがある。ロンドンといえば、やはりロックだろう。二階のブリティッシュインベージョンなど、ロンドンのロックバンドが世界に出て行った。このスタジオを見ているとそれが納得できる。草の根が違う!

初顔合わせのロンドンの音楽家たち。みんな、いかつい顔をしているのであるが、なんと超優しい人で、ブリティッシュアクセントが耳に気持ち良い。時々わからない単語があるが(笑)なんとかなった。明日のレコーディンゴと明後日のコンサート、微妙に違うメンツとレパートリーを一通り合わせてなんとか目処が立った!その瞬間は本当に嬉しい。

6時間の長いリハが終わり、ロビーに出るとちょうどW杯の日本対ポーランドの試合をしていた。なんという偶然。モニカと二人でテレビスクリーンの前でファイティングポーズを決める。彼女はそういうバカに付き合ってくれる優しい人だ。

私はサッカーファンではないのだが、毎年のようにこの時期にはサッカーの国際大会が行われていて、街が盛り上がっている。いつぞや、フランス人家庭に居候させていただいているときに、ちょうどフランスと宿敵ドイツの試合があって、フランスが負けた。その時のご主人の落ち込み用と言ったらなかった。でも、今年は楽しいイベントになってくれている。感謝。

タケシはどうするんだい?決まっている、ロンドンブリッジに行く。景色が見たいので、二階建てバスに乗り込み、30分でロンドンブリジへ。「London Bridge is falling down」と世界で有名な童謡の舞台となった橋である。もちろん、今は落ちるような橋ではない。ロンドンを舞台にした映画で見た風景がいくつか現れる。川沿いをふと眺めると、横にタワーブリッジが見える。おー、これだ。ポールマッカートニーのジャケットに出てくる有名な橋をめがけて、川沿いを歩く。実は20年前に、中にある博物館には入っているので、今回は外からの眺めを堪能した。夕暮れの日差しが美しい。行き交うロンドン子たちのアクセントが耳に響いてたまらなくエキゾティックな気分になる。

タワーオブロンドンが対岸に見える。そう、チューダー王朝のヘンリー8世は、政敵をみんなこのタワーに送り、処刑し、首がこの橋に晒されて見せしめになったという。

駅の周りを歩いてみた。ロンドン名物フィッシュ&チップスが食べたい。と先ほどスタジオでギタリストに相談したら、チキンも出す店では食べるな、という。色々と探したのだが、チキンを出す店ばかりで、これぞという店がなかなか見つからない。さらに駅の周辺を歩いて見た。ロンドンブリッジ駅は、日本でいうとちょうど新宿である。主要な乗り換え駅で、かつ駅前は繁華街が非常に発展していて、古い市場がある。その周りは、沢山のレストランが、高級なものから、立ち食いのものまで様々に混じり合っている。いつの間にか、フィッシュ&チップスは諦めて、ステーキサンドイッチを食べた。ステーキもロンドンのものだ!とイギリス人が言っていた。上手い。と言える(笑)

雰囲気はすこぶる良い。市場の周りに店がたくさん集まり、店によっては長蛇の列である。なにやら騒がしいのは、W杯のイングランドの試合である。

今回は間違えずに電車に乗った。昨日1時間以上かかった行程は、正しい電車に乗ればほんの12分であった(笑)。

明日は、朝から、FM局のインタビューとレコーディングである。ようやく時差も取れて、体が普通になって来た。嬉しい。

(続く)

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第5話 6月29日(金曜日) ロンドンのレコーディングとフィッシュ&チップス

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相変わらず夜は涼しくよく眠れる。やっと時差ボケから解放されて体が正常になってきた。今日は快晴、朝食を作って差し上げることになり、ベーコンエッグを美味しくいただいた。モニカは歌いながらメークをして、二人で気持ちよく郊外のスタジオに出かけた。なんだか彼女はハイになっていて、沢山の写真を撮って喜んでいる。

その名もポーキュパイン・スタジオ、ハリネズミのような顔をした(笑)優しい紳士が出迎えてくれた。なんと50年代からやっているスタジオだという。まだマルチトラック・レコーディングが出現する前だ。

今日はビッグデーである。まず、朝10時から日本のFM局の番組の収録。電車が遅れて思う時間にスタジオ入りできなかったが、モニカと二人、カメラの前でインタビューに答える。日本語なので、もちろん通訳をしながらであるが、私の曲にモニカが歌詞をつけてニューヨークとロンドンでレコーディングした二曲と私のソロピアノを一曲かけていただいた。日本の皆さんにモニカと私のメッセージが伝わっていることを願う。

で、レコーディング。

ロンドンでレコーディングするには、まずロンドンでスタジを選ばなければならない。モニカが探してピックアップしてくれた候補の中から、ピアノがスタインウェイということで私の希望でこのスタジが選ばれた。と言っても、スタインウェイならなんでも良いわけではないが、このスタジオのスタインウェイはなかなか良い。モデルAという自分のお気に入りのBよりも一回り小さいピアノである。鍵盤は確かに現代のものとは違うが、チューニングも良いし、エンジニアのニックのマイクが非常に良いリバーブを醸し出してくれる。久々にピアノの音からインスパイヤされ、それが演奏内容を決定していった。良いシェフは素材を見てから料理を決める。その素材を最大限に活かすからであろう。残響豊かなそのピアノで、モニカの透明な声を最大限に生かすように弾いて行った。

というモニカは極度に緊張していたが、私は最近、年の功であろう、淡々と曲をこなして、非常に良いレコーディングになった。

私の曲が二曲、彼女の曲二曲。自分が書いた曲にフランス語で歌詞が作られ、ボーカリストに歌ってもらう、それがロンドンでレコーディングされる、なんという名誉なことか。

メンバー全員もレコーディングをモニター室で聴いて喜んでくれた。モニカは嬉しくてエンジニアとダンスまでした。彼女の無邪気さが可愛い。

午後3時、スタジを出ると、陽がさんさんと照っていて、まるで南フランスのようだ。が、湿度が低くて非常に気持ちが良い。インタビューとレコーディングでそれなりに疲れていたのであろう、流石に今日は街に観光に行く気にはならないので、家に帰って午後を二人で過ごした。 家に着いたら、モニカがいきなり私に面と向かった「来てくれて一緒にツアーしてくれてありがとう」と改めて言われてしまった。でも、お礼を言いたいのはこちらである。ツアーというものは、食べ物も宿泊も交通機関も思うままにいかない不慣れな環境で、繊細な音楽を演奏しなければならない。これははっきりいってかなりの精神的な負担である。が、今日が素晴らしいレコーディングセッションとなったのは彼女のおかげだ。本当に感謝。

明日のコンサートの曲順を決めまくてはいけないが、途中で眠たくなり。ソファーでうたた寝である。無理もない。開け放した窓から入る風が気持ちよい。ロンドンは良いとこだ!

ロンドン子のミュージシャンは生粋のイギリス英語を喋る。時々、アメリカ英語と違っていて、戸惑うこともあるが、仕事には全く支障が無い。外国なのにこうして同じ言葉で仕事ができる。日本では考えられないことだ。こうして世界中に音楽家の輪が広がって行くことに、感謝の気持ちが込み上がる。

昨日から、フィッシュ&チップスが食べたいと言い続けていたら、今夜はモニカの旦那さんが大きなフィッシュ&チップスを買って来てくれた。これぞ、ブリティッシュという大きさの丸ごとの魚のフライにてんてこもりのポテトが乗っていた。ビタミンはどうするのかって?でも、大きな魚のフライドポテトを食べてお腹はいっぱいになり、9時でも白夜のように明るいこのロンドンでゆったりとした。

明日は、いよいよコンサート、生まれて初めてのロンドンでの演奏だ!何が来ても音楽を楽しんで、お客さんと楽しいひと時を過ごそう。

(続く)

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第6話 6月30日(土曜日) ロンドンのコンサート

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快眠。気候がすこぶる良い。ロンドンにこんな良い天気が続くのは過去にも例がないとのこと。なんという幸運なのだ。ロンドン滞在六日目、そろそろ洗濯物が溜まって来たので、朝洗濯をさせていただいて、庭で干した。この天気の良さで2時間で乾いてしまった。

コンサートの当日はいつも緊張するものだが、音楽の緊張というよりは、どうやって会場にたどり着くかという心配がツアー中は多い(笑)。今回は、幸か不幸かモニカは別の演奏が入って出かけてしまったので、バンドメイトが迎えに来てくれて、車で連れていってくれた。

ロンドンはNYというよりは東京に似ている。広大なエリアに複雑な鉄道網があり、いくつかのそれぞれ特色のある街が複数集まってできている。そしてその間の移動はかなり時間がかかり、同じロンドンでも自由に行き来しているわけではないようだ。

この日のベニューはNorwoodというとても綺麗な地域にある、ポーランド会館のコンサートホールだ。もちろん、モニカが選んでくれた。ポーランド人は見た目はブロンドヘアーで背が高く碧眼な人が多いので、生粋のロンドン子と見分けはつかないが、ここにはたくさんのポーランド移民がいるそうだ。民家の間にある瀟洒なレンガ造りの建物であるが、中に入ると世話役の女性と男性が気持ちよく出迎えてくれる。壁には、モニカと私の写真を大きく引き伸ばしてポスターにして貼ってくれて、手作りの装飾が、ちょっとダサかったりしたが(失礼)なぜがホッとする。英語がそれほど喋れないポーランドの方もいて、みんなでこうしてコミュニティを作り助け合ってロンドンで暮らしているのだ。その人情味と優しに結構感動する。

リハを一通り終わらせて、近くのレストランへ。なんとこの日は街の音楽フェスティバルで、いろいろなところでライブコンサートが催されている。全く知らなかったのだが、モニカと私たちもそのフェスティバルの一環だそうで、私たちの行ったレストランでも、街のパンフレットにも私たちが写真入りで載っていた。

主催者の友人のポーランドの方が経営する店だけあって、料理はポーランド料理。と言いつつポーランドのメインディッシュが品切れなので(笑)バーガーを頼んだのだが、これが上手い!他にもトマトのスープをいただいた。店のおごりだそうだ。感謝。

店のトイレを待っている間に知りあった地元のパーカッショニストとを知り合って、FBでコンタクトを交換した。肌の黒い、背の高いエキゾチックな女性だった!

世の中は不思議なものだ。私なんぞは、NYでは全くもって存在感の無い音楽家であるが、なぜかこのロンドンでは「あなたに会いたかった」という女性が差し入れまで持って来てハグしてくれたり、サインを求められたり、持っていったCDをほぼ完売してしまった。

演奏は、全くリハもしていない曲もあった割りには、なんとかなって、そういう好意的なお客さんのおかげで、拍手喝采が続いた。スタンディングオベーションの後の最初のアンコールは、私の曲のリクエストであった。同じ曲を二回弾いたのは初めてかも。なんという光栄。

以前から、ロンドンで私のCDをレビューしてくれているジャズ・ジャーナリストが、ロンドンの別のエリアからやって来てくれた。ソーシャルメディアというのは功罪共々であるが、そのおかげで初めてやって来たロンドンでたくさんの「友人」に会うことができた。面白い世の中になったものだ。

演奏後には、写真とサイン攻め、ポーランドのお酒ズブロッカの箱入りボトルをいただいた。たくさんのポーランド移民を支えてきた歴史のあるレンガの建物で、手作りのコンサートを企画してくれ、こちらが「勘違いしてますよ」って思うくらい歓迎してくる人たちのために演奏することは感動ものである。ここの人たちの心づくしをいただいて、その優しさが自分の人生を豊かにしてくれた。この夜に出会った人たち、この夜のコンサート、私はしばらく忘れたくない。

モニカも上機嫌で、深夜家に帰ってから、お腹が空いてパスタを作ってくれて、ご主人と三人でポーランドのウオッカを飲んで遅くまで騒いだ。こいつは楽しい。ベッドに入っても先程までの興奮をなかなか冷ますことができなかった。

(続く)

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第7話 7月1日(日曜日) アビーロードスタジオ

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ロンドンに来て初めての週末、そして初めてのオフだ。昨夜、ロンドンでの初めてのコンサートが無事に終わって、今日は身体中が喜んでいる。ちょっと大袈裟だが自分の中で何かが生まれ変わったような気がする(笑)。

それを祝ってくれるかのように、モニカの旦那さんが、イングリッシュ・ブレックファーストを作ってくれた。卵にソーセージにハムに庭で採れたプチトマト、むちゃくちゃ美味しい。しかしこの肉の量には参った。こりゃランチ抜きで大丈夫だと思ったら、本当にランチ抜きで一日を過ごすことができた(笑)。

さて、今日の日程は、今回のロンドンのプロジェクトを実現させてくれるきっかけとなったイレインという現地の女性と二人で遊びに行く。以前からこの日は私の立っての希望でかのアビーロードスタジオに連れていってもらうことになっていた。午前11時50分にBlackheathという大変お洒落な街で待ち合わせ。もちろん、早くに出かけて街を散策。街がすこぶる綺麗でおしゃれである。土曜日、最高の天気、最高に幸せそうなロンドン子でいっぱいのこの美しい街は、居るだけでこちらまで楽しい気持ちにさせられる。

5分遅れで彼女が自転車でやって来た。ロンドンにやって来てから一日置きくらいで会っているのが不思議だ。電車に乗って一路アビーロードスタジオへ。

アビーロードといえば、世界中誰しもがビートルズのアルバムを思い浮かべるだろう。そして四人が横断歩道を渡るジャケットはあまりにも有名だ。元はストリートの名前で、それがスタジオの名前になり、そこでレコーディングしたビートルズのアルバム名になった。私が小遣いでこのアルバムを買ったのは中二の時、B面後半のメドレーに圧倒された。今でも、作曲家の密かなバイブルになっているとの記事をNYで読んだ。

日本でいうJRのようなSoutheastern Line で例のLondon Bridgeまで行き、そこから地下鉄(Underground)で20分くらいだそうだ。London Bridge駅で、地下鉄に乗り換えようと改札に入ったら、自分のオイスターカードが通らない。ロンドンの電車賃は非常に高くて、びっくりする程にお金がかかる。今回もオイスターカードは毎日にようにRefillじゃなくて、Top it offしなければならなかった。急いでお金を継ぎ足して地下鉄に。シャーロック・ホームズの家があるとされるBaker Streetで乗り換えて、St. John’s Wood駅を降りて地上に出ると予想を反してそこは簡素な住宅街出あった。歩くこと10分、スタジオが見つけらるるか心配していた私はばかだった。沢山の人が集まって順番に横断歩道を歩いて写真を撮っている。そこが有名な横断歩道であった。ミーハーと思いながらも、ここは譲れない。エレインの協力もあり、何回か横断歩道を渡って写真を撮ってもらった。かなり嬉しい(笑)。

そもそも、私が音楽を真剣に始めたのは、中学の時にビートルズのレットイットビーを聞いたからで、私の中学時代はビートルズ漬けになっていたと思う。それが今でも自分の中の音楽の基礎になっており、今回、ロンドンで製作中のアルバムにも、昨夜のコンサートにもビートルズの曲を入れている。ロンドンのレコーディングにビートルズを弾かないのはとてもおかしいように思ったのだ。

スタジオは閉まっていたが、ギフトショップは開いていて(上手い)、お土産が買える。半分は博物館にもなっていて、ポールマッカートニーが実際に使っていたヘフナーのバイオリンベースが展示してある。故サー・ジョージマーティン直筆のイエスタデイのストリングスの譜面には感動した。それにノイマンのマイクもある。なんと私が自宅スタジオで使っているノイマンTLM49と同じ形ではないか!これは嬉しい!「ビートルズを録音した伝説のマイクロフォンの子孫」だと読んだがそれは本当であったのだ。

このスタジオ、なんと30年代から操業しており、BBCと共にイギリスの音楽産業の屋台骨を担ってきた。年表に刻まれた数々の作品には名バンド、名アルバム、名映画のサントラが並ぶ。 モニカの旦那さんとも話したが、実はこのスタジオ、割と良心的な価格で誰でもレコーディングさせてくれる。それに、自分でミックスした曲をこのスタジオにネットで送って、ここでマスターしてくれるサービスもあって、実は私も利用済み。伝統と確信、両方を抑えている立派なスタジオなのだ。伝統は革新の積み重ねだと私は思う。

彼女と駅前のカフェ、その名もBeatles Cafeに入り、長く話し込んだ。で、解散(笑)。この前彼女に作った料理が好評で、今度は彼女の友達にも作ってあげてくれないかと頼まれたのだが、5分悩んだ挙句、断って一人でロンドンに街に出ることにした。好意はありがたいが、一人になってロンドンをぶらぶらしてみたかった。ごめんなさい。

というので、地下鉄に乗って、South Bankへ。映画やドラマでよく見かけるテムズ川の歩道橋や、London Eyeと言われる巨大な観覧車、そしてその向こうに見えるビッグベンと国会議事堂、そしてウェストミンスター。そう、ここがロンドンのハートなのだ。

焼け付くような夏の日差しが心地よい。しばらくテムズ川沿いに座ってぼーっとしてみた。

実は、かなり心配していたレコーディングとコンサートが無地に終わって、本当にホッとしている。もちろん、次のパリのコンサートの心配も始まったのだが、それはそれで置いておいてしばらくテムズ川の流れを見つめていた。One step at a timeである。

(続く)

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第8話 7月2日(日曜日) サウス・ケンジントン

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昨夜は蒸し暑くて寝るのが大変で、ちょっと寝不足であるが頑張って起きた。今日は、先日のスタジオに再び行って、ピアノとボーカルのデュオのレコーディングである。もう流石に時差ボケはないが、NYのプロジェクトの新たな心配事と、デュオでのレコーディングの緊張もあるのか、ちょっと口数が減ってしまった(笑)が、ここで負けては元も子もない。淡々と食事をすませ、昼のサンドイッチを作ってモニカと先日と同じレコーディングスタジへ。

でも、どうだろう、エンジニアのニックの人柄、毎日挨拶にきてくれるニックの品のあるお母さん、それに親戚のおばさん、(彼女のクワイアが今度BBCの中放送に出演するそうだ)、そういう人たちに出迎えと、ニックの作ってくれる心のこもったエスプレッソに、いつの間にか心が和んで、気がついたら自分は音楽の中にいた。なんて素晴らしい!自分のスタジオでもミュージシャンにはコーヒーを入れて差し上げよう!

デュオを三曲レコーディング。これは彼女のスタイルだと後で気づいたののだ、楽譜を作らずにスタジ入りして、その場でアレンジをしながらレコーディングする。普段一発録りにかけている自分には新鮮で学ばせてもらった。

ピアノの音の良さもある。音を出すのが非常に楽しくて、その喜びをニックが綺麗にレコーディングしてくれた。終わってから三人でまんべんな笑顔で写真を撮った。これで、ロンドンの日程は全て終了。スタジオを出たポーキュパイン・ストリートで二人で改めて記念撮影!

嬉しかった。

「君は、毎日リハとコンサートとレコーディングの合間をぬって三人の女性とデートしてるのかい?」とモニカの旦那さんにからかわれたが、この日は夕方から、先日のコンサートで出会ったえらくスタイリッシュな女性と会うことになっている。デートなの?とモニカにもからかわれた(笑)。

彼女の指定してきた、South Kensingtonに電車で向かう。不思議なこともあるもので、先日のコンサートの前にその女性が会場にやって来て、真っ先に私のところに来て、さも昔から知っているように話しかけてきた。彼女はフィルム・プロデューサーだそうだ。ここロンドンは非常に国際色豊かで、彼女はロシアで生まれて、現在をロンドンに在住、最近はイタリアで映画を制作しているそうで、6ヶ国語を喋る。

さて、待ち合わせ時間よりも一時間も早く夕刻4時にSouth Kensingtonについたので、コーヒーを買って、みんなと同じように公園に座ってピープルウオッチング。どうやらSouth Kensingtonはスタイリッシュな彼女がデート先に(笑)選ぶだけあって、非常にヨーロピアンでお洒落な街である。フランスの料理学校、イタリアレストランなど、今まで見たロンドンとは少し違う。夕方のオレンジの光と白い建物、そこに楽しそうに集う人々の構図が非常に良い。

直ぐに約束の時間で、駅の改札に戻る。本当に来るのかちょっと心配であったが、先日会った時と同じような黒いシックなドレスで現れた。ひどく暑いので、近くのイタリアのジェラートの店に入る。店の主人と従業員はイタリア人で、彼女は流暢なイタリア語を披露してくれた。彼女は「あなたの音楽について聞きたい」と言いつつ私の質問がツボにハマってしまったのか、彼女の最近のテーマ「シェークスピアはイタリア移民」という話を永遠とすることになってしまった。

彼女によると、イギリスが誇る世界の文豪は、宗教裁判を逃れイギリスにやって来たイタリア貴族の息子だという。もちろん、この説はイギリスでは物議を醸し出すので、あまり公にはできないそうだが、イタリアでは支持する人が多いらしい。

イタリアの車メーカーでもあるLanciaは、英語で言うLanceで「槍」を指す。その別名は、spearで、Spearを振り回す(shake)ところから、Shakespeareという英語名をつけたのだという。「本当かよ」と訝しがっている私に彼女は続ける。「シェイクスピアの作品には多くのイタリアの街が登場し、その記述がまるでイタリアの誰かから聞いたのではないかというくらいに正しい。」確かに。ロミオとジュリエットの舞台も、イタリアの街、ヴェローナである。旅が今ほど簡単ではない時代である。このテーマを追っかけてドキュメンタリー映画の製作に彼女はまたイタリアに行くそうである。

まだまだ話は尽きないようなので、今週末のパリのコンサートに誘ったが、彼女はイタリアに行くとのこと。それぞれの国での仕事の健闘を祈ってお別れした。陽が沈む前に別れるのはデートとしては失敗であるが(笑)、なにせ暗くなるのは10時なので、ファーストデートとしては上出来だろう(笑)。彼女のおすすめで、South Kensingtonにある、日没前のRoyal Albert Hallとその向かいにあるRoyal College of Musicに足を伸ばす。アルバートとはヴィクトリア女王のご主人のはずだ。パリのオペラ座と向こうを張れる立派なコンサートホールとUKで一番エリートな音楽院が目の前に会った。なんと、フランスで私のコンサートを企画してくれているフランス在住のイギリス人女性ピアニストはこの学校の出である。

遅くに家に着いたが、ベッドルームでモニカとご主人と3人でロンドン最後の夜に話し込んでしまった。ご主人は10月にNYに来られるそうで、今度は私ががホストさせていただくことを申し出た。

明日は、いよいよロンドンとお別れ。ユーロスターでモニカよりも一足先にパリに行く。

(続く)

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第9話 7月3日(火曜日) ユーロスターでパリへ

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昨日ロンドンでの行程が全て終わり、今日はユーロスターでパリに移動。モニカは金曜日のコンサート当日の午後にホテルで集合で、私が一足先にパリに入る。というのは、明日パリの郊外のコンサートホールでトリオのコンサーがあったのであるが、ホテルを取った後にコンサートがキャンセルになってしまった。が、なるべく早くパリに行きたいというのもあるし、何と無く一人になってみたいというのもあって、そのままの予定で移動することにした。

ユーロスターは、St. Pancras Internationalという駅から出る。ロンドンのスタジオで聞いた話でだが、ユーロスターができる前は、ロンドンとパリの移動はコンコルドだったというから驚きだ。二つの街には一時間の時差がある。ユーロスターはこの世界の大都市をたった2時間で駆け抜ける。

お世話になったモニカの家から、電車に乗って、もうお馴染みとなったLondon Bridgeへ。そこでThames Linkに乗り換える。車窓からのテムズ川とファイナンシャル・ディストリクトの摩天楼の景色がすこぶる感動的である。

間も無く、St. Pancras International駅に到着。駅にはInternational Trainsという表示がある。列車で外国に行く、これは日本では考えられないことだし、アメリカでもほとんどない、ヨーロッパ旅行の醍醐味の一つであろう。国際列車というので、まるで飛行場のように両国の出国入国審査と手荷物検査がある。

ユーロスターに乗るのは、これが3回目だと思う。歳がバレてしまうが、ユーロスターが開通した時のニュースをタイム誌で読んだことがある。ドーバー海峡を海底トンネルを作って鉄道を敷く事はかなり前から構想があったのだが、技術的には可能であっても、そこには政治的な問題、文化的な問題もあって、なかなか実現しなかったとのこと。今でこそイングランドとフランスはドーバー海峡を挟んで綺麗に国境が別れているが、それは比較的最近のことで、1066年の征服王ウィリアムス(フランス名ギョーム)から、フランスとイングランド両方を治めたヘンリー二世のプランタジュネット王朝、それが原因で起こった後の100年戦争など、イングランドとフランスは非常に複雑な歴史を持っている。そもそもイングランドの朝廷では、ヘンリー5世が生まれるまでの少なくとも350年間は、ノルマン・フランス語が公用語であり、両国の交渉はフランス語で行われていた。ヘンリー5世の息子ヘンリー6世は、パリのノートルダム大聖堂でフランス国王として即位し、今でもUKの君主は、King (Queen) of France のタイトルを持っている。その複雑な両国の国境が今のようになったのは、その後シャルル7世がジャンヌダークの助けを借りてヘンリー6世から王権を奪回し、百年戦争が終わってからである。

今でこそ、世界共通語は英語であり、私もフランス人も英語で仕事をする時代であるが、それも随分長い間、その役割を担っていたのはフランス語であった。それが今日の英語になったのは、世界中の植民地でハノーバー王朝のジョージ2世と3世率いるUKと国王ルイ15世が率いるフランスが1754年から1763年まで戦った7年戦争の結果であると歴史家は言う。ヨーロッパ一の美男子、ルイ15世が女性に溺れずにフランスを勝利に導けば、今頃世界はフランス語を喋っていたのであろう(笑)。

かつてはルイ14世の絶対王政が世界一の国力を築いたフランスと、18世紀以降に世界の覇権を掌握したUKとのプライドは今でも非常に強い。ユーロスターのアナウンスは、ドーバー海峡を渡る前は、英語・フランス語、海峡を渡るとフランス語・英語に切り替わる。

イングランドは比較的街中を抜けるので、スピードが出せないユーロスターであるが、ドーバー海峡を水面下75メートルの海底トンネルを抜けてフランスの田園地帯に入ると速度を300キロに上げる。多少の遅れはあったが、2時間でパリの北駅に到着。そう、昨年も滞在したそのままでパリである。かつては船で命がけで海峡を渡り、戦争で領地を奪い合った二国の首都が、今はたったの2時間で結ばれているのだ。これにはやはり感動する。

ホテルにチェックイン。私のここ数年の強い味方、北駅の安ホテルだ。

なんとこの時期のパリは午後10時でもかなり明るい。1時間の時差もあって、思ったよりも遅いことに気がつくと、急にお腹が減ってきた。今日からしばらくは一人食べなので、近くの中華料理屋に入って、広東風チャーハンを食べる。久しぶりの米の飯は美味しい!

イギリスのツアーの疲れと、一人になった開放感で急に眠たくなってきた。明日のパリ郊外でのコンサートがキャンセルになっているので、二日間完オフである。明日の事は明日考えよう。いつの間にか眠ってしまった。

(続く)

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第10話 7月4日(水曜日) パリの休日、映画のロケ地巡り その1

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パリの朝、すこぶる天気が良い。ここまでカラッと晴れて暑いと体が嬉しくなってくる。普段は朝食はスーパーのパンとホテルロビーの自販機のコーヒーですませることが多いのだが、初日くらいは贅沢しても良いかとホテルの朝食を食べに行った。7ユーロで、クロワッサン二つ、バゲット、カフェオレにオレンジジュース、これはお値打ちだ。ゆっくり味わっていたら、おばさんにもう終わりだからと締め出された。

ホテルを予約した時、本来なら今日はパリ郊外でトリオのコンサートが予定されていたのだが、主催者の政治的な事情でキャンセルになってしまった。なら、観光だと言いたいところだが、ツアーで来ているので、色々な人とのビジネス・コミュニケーションは通常通り。この日も午前中は、日本やNYやらロンドンやらホテルのインターネットでオフィスワークに追われた。

とそこに、先ほどカフェテリアで私を追い出したおばさんが、今度はルームクリーナーとしてやって来て、またしても私を追い出す。このおばさんは私のパリの天敵のようだ。仕方ないので炎天下の外へ出る。

当てもなく外に出た私であるが、瞬時に素晴らしいプランを思いついた。以前から気になっていたパリの映画のロケーション現場に行こう。二つほど温めていたところがあるのだ。

パリの映画のロケ地巡り その1、Anna Hathaway とJim Sturgess主演の2003年の映画One Dayである。私はどういうわけかこの映画が大好きで、リリース時に一度観たのだが、随分後になって、ふともう一度見たくなって観てみた。スコットランドのエジンバラ、ロンドン、パリ、私に馴染みの深い場所が次々に出てくるのも魅力だ。が、恵まれた家庭で育ち、頭脳明晰、容姿端麗、素晴らしいキャリアを持って女性にもモテモテだった若者が、次第に傲慢になって気がついたらキャリアも女性関係も急降下を辿るという主人公の男性に心から感情移入してしまう(笑)。キャリアも女性も失って中年となった男性は、以前から彼を愛してくれていた地味だが作家の夢を追いかけてパリに来ている女性、アナハザウェイ演じるエマにすがるような気持ちで会いにくる。勿論、パリで綺麗になった彼女には、フランス人の彼氏がもうできている。「彼は何をしてるんだい?」「ジャズピアニストよ。今から、演奏を聞きに行くわよ。」「ジャ、ジャズピアニスト?」失望と嫉妬に打ちのめされた彼が、髪の長いジャズピアニストを遠目で見た瞬間に逃げ出して、絶望の中で緑の運河沿いをフラフラ歩く。が、そこにサプライズがある。エマが彼を追っかけてくるのだ。そして驚いた彼に、「今度こそ私を愛してくれなきゃ殺すわよ」という。彼は「絶対に誓う」と言う。二人はロンドンに戻り結婚する。美しいシーンだ。そのシーンが撮影されたのがこの緑の綺麗な運河である。

余談だが、そのジャズピアニストは演奏の途中で彼女に振られてしまったのか。それはかわいそうだ、今度は彼に感情移入してしまう(笑)。

ともあれ、北駅のホテルから歩くこと20分で緑が美しい運河に着く。太鼓橋が綺麗だ。映画でも、この橋を駆け上がって駆け下りるシーンが彼女の彼への気持ちを言葉なしで良く表現していると思う。

素晴らしい!来てよかった。

水にかかる橋を渡っていると、何やら声をかけられた。どうやら橋を出ろと言われている。しばらくしたら、橋が回転してそこをボートが通り抜けて行った。その間五分ほど、皆が立ち止まって待っている。のどかで良い。

さて、運河沿いを歩いていくと右手に大きな女性の白い記念碑が見えた。リュピュブリックに違いないと思って近づいたらそうであった。そういえばもうすぐ7月14日の革命記念日である。運河を離れて記念碑まで歩こうとしたらインド料理のテイクアウト・レストランをを見つけた。これは食べるしかない。狭い店でパックに詰めてもらったティッカ・マサーラを広場のベンチで座って食べていると、小さな女の子二人に国旗を振らせて写真を撮っている若いお母さんがいた。あどけない女の子が二人、手を高く三色旗を掲げている。お母さんは大きなスーツケースを持っているので、地元の人ではないと見た。でもここまで愛国心に満ち溢れているとすると、きっとフランスの別の街から革命記念日のお祝いでやって来て、ホテルにチェックインする前に、このリュピュブリックに寄って写真を撮っているのか。何れにしても絵になる。ドラクロワが見たら喜ぶに違いない(笑)。ちなみに、フランスの自由の象徴は、いつも女性で、マリ・アンヌと言われている。アメリカの独立を援助したお礼に、NYに贈られた自由の女神もマリ・アンヌなのだ。

私の住むニューヨークとフランスがこうして繋がる。

(続く)

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第11話 7月4日(水曜日) パリの休日、映画のロケ地巡り その2、マーティン・スコセッシとテイラー・スウィフト

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さて、パリ初日、ランチを取って午後に突入。今日は映画のロケーション巡りで、二つ目の場所に向かわなければいけない。

One Dayの緑の水が美しい運河を最後まで歩こうと思っていたのだが、水が地下に潜ってしまうので、再び表に出てくるバスティーユまで地下鉄に乗ることにした。

フランスの革命記念日は、バスティーユ・デーと呼ばれる。1986年7月14日に、パリの民衆が当時政治犯を収容していると目されるこの監獄を襲撃した。が、記録によると当時収容されていたのは、コソ泥ばっかりたったという。だが、絶対王政の権現であるこの監獄が民衆に襲われたことはその後の革命に拍車をかけることになる。

「これは反乱か?」報告を受けたヴェルサイユ宮殿のルイ16世が尋ねると、知らせを運んだ側近は、「いえ、革命です」と答えたという。その夜のルイ16世の日記には、「de rien (何も無し)」と記されている。これは有名な話だが、彼はブルボン王家の中では非常に稀な存在で、女性遊びゼロ、政治能力ゼロ、趣味は狩猟と錠前づくりといういたって凡庸な男であった。日記の「de rien」は狩猟の獲物のことだったと歴史家は解説する。ちなみに、ルイ16世と一緒に錠前づくりをしていた職人の名は、LaGammaという、私のNYのピアノの調律師と同じ名前なのだ。

さて、映画のロケ地巡りその2はSaint-Germain-des-Présの裏道にある小さな広場である。

地下鉄に乗ってSaint-Germain-des-Présまで行けば20分、サンルイ島、シテ島、ノートルダム寺院を歩けば30分。それは明白だ。パリの美の中心を観ずにはいられない。バスティーユから運河を最後まで下ると、いきなりセーヌ川に出た。この景色は何度も見ているが、いつ見ても壮観だ。昔サンルイ島でコンサートをしたことがあり、その打ち上げでここに来て以来、私はこのサンルイ島のメインストリートからシテ島への橋、Pont Saint-Louisの辺りが大好きだ。この日も晴天の元、お洒落度高過ぎの店が並んでいて、写真家魂を興奮させてくれた。

600年かけて建造されたというノートルダム大聖堂の前を抜け、クレープに気を取られながらも、さらに歩いてSaint-Germainへ。この辺りThe Hunchback of Notre-Dame にちなんで、Quasimodoというカフェが多い。何故か日本でサラリーマンをしていた時の上役、梶本さんを思い出す。今回はパスしたが、近くに革命時に牢獄となり、マリーアントワネットもルイ16世も入れられたコンシェルジュリがある。

セーヌ川から離れ、住宅街を歩くこと10分、目的地のrue de Furstenbergに着く。1993年のマーティン・スコセッシの映画、The Age of Innocenceの感動的なラストシーンはここで撮影された。ダニー・デイ・ルイス演じる主人公の男性、ニューランド・アーチャーは、ウィノナ・ライダー演じる若くて綺麗で従順な婚約者がいたが、結婚を目前に従兄でもあるミッシェル・ファイファー演じる年上の女性マダム・オレンスカと出会い、恋に落ちる。何度も駆け落ちを考えながらも二人はそれぞれの燃え上がる気持ちを抑えて、それぞれの社会的立場を守って離れ離れになる。そしてラストシーン、晩年のニューランドがオレンスカの住むパリのアパートをおとづれることになる。だが、ニューランドは彼女に会う決心が付かず、アパートの前でじっと座って回想をして静かに立ち去って行くのである。セリフが全く無いデイ・ルイスの演技は圧巻で、私は込み上げてくる感情を抑えることができなかった。その、彼女が一人で住んでいたパリのアパートが、広場というにはあまりのも小さいこの広場なのだ。窓の格子の色が変わった以外、この景色はそのままで、映画のラストシーンが目の前に広がる。

私は何故かこの映画に強烈に魅かれる。以前、マサチューセッツのタングルウッドに遊びに行った時に、それとは知らずにアメリカの女性作家、Edith Whartonの家を尋ねた。そう、この映画の原作家であったのだ。

この場所を、感動的なラストシーンに選んだスコセッシに脱帽である。しかし私以外誰もいない。おかしいなぁ、あの映画のファンが大挙して押しかけていてもいいのに(笑)。

と言いつつ、この広場は一部の通には有名なのか、最近ではテイラー・スイフトのBegine AgainのMVで使われた。彼女が自転車に乗るシーンである。

さて、本日の目的を見事達成したので、ご褒美にカフェに入ってペリエとエスプレッソを頼むことにした。ちなみに、このSaint-Germain-des-Prés、「パリ左岸」と呼ばれ、戦前にはにサルトル、ボーボワール、ヘミングウェイ、ピカソ、ユトリロなどの芸術家や哲学者がたむろして芸術文化論を語り合った場所で、ウッディーアレンの映画Midnight in Parisでふんだんに出てくる。近くには、ソルボンヌ大学があり、その昔から学者や哲学者のたまり場であったのであろう。

旅の疲れが出てきたのか、急に眠たくなったので、夜はホテルに戻ってゆっくりする。充実した1日であった。

(続く)

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第12話 7月5日(木曜日) ”神々の黄昏”

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いつの間にか、夜型の生活になってきたのか、朝寝坊をしてしまった。起きたら10時半、ホテルの朝食が終わってしまっている。仕方ないので、クロワッサンとカフェオレを食べにホテル前のパン屋に入った。強烈に口が乾くので、オレンジジュースを飲みたい。冷蔵庫から缶入りジュースを取り出したのだが、ふと見るとお客さんのほとんどがその場で絞ったようなオレンジジュースを飲んでいる。そうか、ここで缶入りなぞ飲んでいるわけにはいかん。早速オレンジジュースを頼んだら、目の前の機械で絞ってくれた。そうなのだ、夏のフランスはあちこちで本物のオレンジをふんだんに絞ってオレンジジュースを作ってくれる。贅沢にたくさんのオレンジを絞ってできたジュースをいただいた。それが美味しいこと美味しいこと。オレンジの果実そのものが美味しいからだろうが、それを贅沢にその場で絞ってくれるジュースは感動ものだ。パリに来たら、絶対に朝食にオレンジジュースを飲む習慣が脳に学習されてしまった。まずい(笑)。

昨日の充実した観光と、明日に控えたコンサートというので、今日はおとなしくゆっくりしていようと決めたが、実は昼過ぎに、フランスのジャズ・ジャーナリストとインタビューが予定されている。私のパリのコンサートのチラシを見て、向こうから連絡をとってきてくれた。なんという光栄。昼過ぎに待ち合わせ場所の北駅の正面玄関まで出かけて行く。時間通りに、髪の長い長身の男性が現れた。早速近くのカフェに入り、話が始まる。パリのカフェは室内よりも外が気持ち良い。彼は、長い間パリでジャズミュージシャンを追っかけていて、彼のフォトアルバムには、マイルス・デービス、チックコリア、などそうそうたるミュージシャンが入っている。そんな立派なジャーナリストが何故私なぞを見つけて取材してもらえるのか、よくわからないが、この世の中は誤解でできている(笑)。誠意をもって話をさせていただいた。明日のコンサートはちょうどフランスのW杯の試合が重なって(何故かいつもコンサートを試合が重なる!)来てくれないようだが、私の写真を撮ってくれて、それが彼のサイトに掲載された。ありがたい!

インタビューと写真撮影が終わったら、急にお腹が減ったので、早い晩御飯にした。最近気に入ったパン屋に入ってピザを注文。食べ始めてから思い出した。フランスでピザを食べてはいけなかった。何故かこの国は、自国の料理は格別に美味しいのだが、外国の料理、特にイタリアものはパスタもピザも、わざと手を抜いているのかと思うほどダメである。少なくともイタリア系移民が沢山住んでいるNYに住んでいる私たちにはそう思える。サンドウィッチにすれば良かった。そうすれば美味しいバゲットとハムとチーズが最高だったのに。

残念な気持ちで店を出ようとするとなんとプリンが目に止まった。そこで口直しに大好物のデザート頼むことにした。クレム・カラメルという四角い容器に入ったもので、今度は泣けるくらい美味しかった!フランス万歳!

夏のパリは本当に日が長い。10時でも夕方かと思うくらいの明るさで、体内時計の調整に苦しんでしまう。が、夕暮れの光に街が輝くこの時間を見過ごすわけにはいかない。ちょっと寄り道をして、北駅の周辺を歩いてみた。

現地の人は、時として北駅は「汚い」から、北駅のホテルはオススメしないと言う。私は汚い方が落ち着く(笑)し、利便性を買ってホテルは北駅に決めているが、駅の周辺、特に東駅への周辺は、アフリカ系住民が多く、アフリカ系住民だけのバーもいくつかあって、独自の雰囲気がある。

近年、こうしたアフリカ系のフランス人たちが、暴動を起こし社会問題になっている。「俺たちはどこまでフランス人になれるんだい?」と言うセンセーショナルな問いは、フランスに限ったことではない。それがネオナチの台頭にも繋がり、昨年の大統領選挙でも争点になっていた。「植民地支配の代償だ」と言う学者も多い。私もそれを感じる。

折しも、今盛り上がっているW杯で快進撃を続けるフランスチーム(レ・ブルーLes Bleus)は、沢山のアフリカ系フランス人が入り、その多国籍軍を見事に束ねたディディエ・デシャン監督の手腕を讃える一方で、それを問題だと捉えるフランス人の友人もいる。

東駅は北駅ほど大きくはないが、それでも夕刻の光を浴びた白い大理石の建物は本当に立派で美しく、フランスの長い歴史の中で磨かれた美的感覚の象徴に思える。だが、その見かけとは裏腹に、今のパリはあらゆるレベルで移民と差別の問題を抱えている。森鴎外の「舞姫」に「ところに係累なき外人(よそびと)」と言う表現がある。今の私だ。言葉には簡単にできない思いを胸にひとりで大理石の階段を登りながら行き交う人を眺めていた。

さて、明日はモニカがロンドンからやってくる。夜は彼女とデュオのコンサートだ。

(続く)

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第13話 7月6日(金曜日) パリのコンサートとモンマルトルの夜遊び

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さて、今日はパリのコンサートである。相棒のモニカは、今朝ロンドンからユーロスターでパリにやって来る。

ユーロスターが遅れて、昼過ぎにやっと彼女とホテルで落ち合う。ひどく暑いので二人で冷たいものを飲みにカフェへ。

一旦部屋に戻り、シャワーを浴びて夕刻にコンサート会場へ。タクシーでオペラ座近くの会場に着くが、ちょっと早いし、小腹へったのでタイ料理でプリ・コンサートディナー。

パリでコンサートをやって果たしてお客さんがきてくれるのかいつも不安だが、不思議なことにいつも誰かしらが来てくれる。お客さんの中に、もう五年も前だが、南フランスのPeillonと言う城壁に囲まれた山頂の村を旅行して、そこで出会って村祭りに誘ってくれた優しいフランス人女性が家族を連れて来てくれていた(関連記事)。こんなに嬉しいことはない。

コンサートは、三日前にロンドンで行ったものを、今度はピアノデュオで演奏する。私にはかなりの挑戦だったが、良いコンサートになったと思う。お客さんにも喜んでいただいた。ありがたいことに、ラジオ局の人も聞きに来てくれて、今後私たちのレコーディングをパリで放送していただけることになった。これはこの先に繋がって行く。そう感じた。モニカもそう思ったのだろう。

演奏後もたくさんの人との挨拶に追われたが、10時に終わって外へ出る。ちょうど黄昏時、Clepuscureである。最後の陽の光を反射したオペラ座がすこぶる綺麗だ。タクシーでホテルへ。このまま解散するのはもったいない。モニカは18歳の頃からパリでオペアとして働いて苦労して音楽を続けてきた。色々なところに住んで、いろいろな仕事をしながら、13年パリに住んでいたそうだ。コンサートの成功でとてもハッピーな気分の彼女が私を彼女の思い出の地に連れ出してくれるという。ホテルに荷物を置いて、やっと暗くなってきたパリの街に出た。結構歩いたが、彼女の思い出のアパートや思い出の界隈を見せてくれた。そのあと、意外と近いモンマルトルへ。

モンマルトルとは「殉教者の丘」という意味で、昔ドニ(Dennis)というキリスト教徒がここで斬首された。彼は自分の首を持って北に10マイル程歩き、そこで生き絶えた。人々はそこに教会を作った。それが歴代の王家の菩提寺となったサン・ドニ大聖堂である。昔はミラクルがよく起こったようだ。

ウッディーアレンの映画「Midnight in Paris」に幻想的なパリの夜がふんだんに描かれている。私たちはまるでその映画に飛び込んでしまったような幻想的で美しいパリのミッドナイトを歩いた。上機嫌な彼女は歌を歌いながら私をエスコートしてくれる。所々で止まってツーショットをセルフィーする。こんな美女がミッドナイトのパリで遊んでくれる?良いプロジェクトだこれは。(笑)

ユトリロが愛したモンマルトルの漆喰が夜の闇とライトでこの世のものとは思えないような幻想的な景色を作り出す。演奏後でお腹が空いて、二人でレストランに入る。オムレツとサラダとパンとロゼワイン。これはうまい!時刻は午前1時半。ギグで演奏した後は例外なく夜食が必要だが、モンマルトルのレストランとは参った。

彼女は、本当に上機嫌で、歌を歌い続けている。Au clair de la luneと言うレストランの前で、「Au clair de la lune」を歌ってくれた。確か日本では「隣のおばさんこんばんは、綺麗な綺麗な月夜です」と言う童謡になっているはずだ。

月の光のせいだろうか、現代のミラクルが起こった。有名な階段、les escaliers montmartreの途中に、Le Petit Théatre du Bonheur(幸せ小劇場)という小さなシアターがあった。のぞいてみると何人かの男女がショーが終わってくつろいでいた。モニカと私が入って行くとえらく歓迎され、お互いに自己紹介するとどんどん話が弾んで、とうとう私たちは一曲披露することになった。先ほど演奏した曲(Snow Angel)をシアターの小さいピアノでまた演奏した。モニカのフランス語が小さなホールに響く。それでますます盛り上がり、いつまでパリにいるのか聞かれた。残念ながら、明日は南フランスに行かなければならないというと、残念そうに住所交換をした。みんなシンガーソングライター、役者などパリの芸術家グループである。なんだろう、この歓迎される心地よさ。パリには何かがある!

ちょっと酔ってしまった二人だが、さらに歌いながら、残りの階段を降りて帰路についた。ホテルまで20分歩くのである。が、これが楽しい。二人で飲み物を買い飲みしながら、ホテルに戻り、抱擁して解散。

これで、今回のツアーの大目玉、モニカとのロンドンとパリの予定が全て終了。この素晴らしい経験にはお礼の仕方がわからない。とりあえず、パリの夜の帳に感謝してベッドに入る。

(続く)

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第14話 7月7日(土曜日) 南へ

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昨夜の幻想的な体験がまるで幻想であったかのように晴れ渡ったパリの朝である。このホテルには私の天敵がいる(笑)。ルームサービスをするから出なさいと言わんばかりに、廊下で掃除を始め、私が下のカフェで朝食を食べようとすると、もう閉まったと言う。後30分でチェックアウトだからと言うと、それまでの滞在許可を出してくれた。フランス人はどこかサービス業を勘違いしているような気がする。

さて、約束通り30分で荷造りして外へ出る。そう、今日はパリを後にして、TGVで南フランスに向かうのだ。ロンドンがフェーズ1でパリがフェーズ2なら、今日からフェーズ3、南フランスでフレンチトリオのツアーなのである。

ロンドンにいた時から、南フランスの友達から、「7月7日はストライキがあるから、電車のチケットを予め買っておいて、その電車があるかどうか、前夜に確かめなさい。」とありがたい(?)忠告をもらっていた。二ヶ月前に彼女をニューヨークでホストしたときに、彼女自身がパリ行きのTGVで経験したストライキの話である。

それは信憑性がある。昨夜は夜遅くまで遊んでしまって列車のチェックなぞしていないが、とりあえず心配しながら、ホテルをチェックアウト。今回は移動が多いことが予めわかっていたので、レコーディング機材は音質を落としてまでも軽量なものを持参(笑)、カメラも画質を落としてまでも軽量なカメラを持参(笑)、徹底的に機動性を重視したコンパクトな荷物で地下鉄モンパルナス駅に移動する。

そのお陰で、随分と早くにモンパルナス駅に着いてしまった。掲示板を恐る恐る見てみると、幸運にも自分の列車は走ることになっている。と言うか、駅には混乱がないようなので、ストライキはガセネタなんではないのかな。ということは今日アングレームに着ける。ということは明日のコンサートは間に合う!急に安心したらお腹が減ってきたので、ランチをする。この駅、建て増しと工事中で構造がよくわからない複雑な駅舎で、ランチの店も混みまくっている。サンドイッチを買って床に座って食べる。が、床が冷たくて気持ち良い(笑)。

これもフランスの友人から教えてもらったのだが、TGVではなくて、OuiGo と言う電車があるという。TGVに比べてかなり安い値段でチケットが買えるとのこと。確かに私のチケットも桁が違うくらい安い。が、駅で仕組みがわかった。電車がそもそも違うのだ。そのためか、駅がえらく離れていて、さらにこのホームがえらく遠く、さらには電車がえらく長い。ひたすら歩かされて、自分の列車と車両を見つけた。が、とても快適な2時間半の旅が、南フランスの入り口、古都アングレームに連れて行ってくれた。

先回も同じ経験をしたが、アングレームの駅から外へ出ると急にパリとは全く違う強烈な太陽が目に飛び込んできた。南フランスの太陽だ!眩しい!嬉しい。それに、風が気持ち良い。ふん、一旦ここに来たら、気候的に言って、パリには戻りたくない。暑いが湿気がない、昔留学したカリフォルニの気候に近いと思う。ひょっとしたら世界で一番良い気候なのではないかとさえ思う。

駅で、ドラマーであり親友のマキシムが14歳になる娘のエミリーちゃんと出迎えてくれた。三年前に会った時には、まだ11歳の少女で、一緒にお絵かきをしたり(笑)、映画を見たり、フランス語の本を順番に読みあったり(笑)、二人でたくさん遊んだその少女が、いつの間にか、とても綺麗なレディーになっていた。

マキシムは、昨年から今年、六ヶ月のオフを取って、私のNYの家を拠点に、アメリカの横断ツアーを敢行した。その為か、今は家がなくて居候の身なので、夕方私のホスト役の女性、オロールが仕事から戻るまで、居候先で私を預かってくれた。エミリーちゃんとお絵かきではなくて、一緒にギターを演奏して楽しんだ。

さて、沢山のチーズとワインを買って夕方オロールの家に行く。彼女は、まだ27歳の生粋のフランス人女性で、パリのソルボンヌ大学で学んだ後、今は市の職員で農業政策の仕事をしている才女である。留学なぞしたことがないのに、ビデオを観ていたと言うだけで、立派なアメリカ英語を喋るその語学力には驚きである。が、実は彼女、私を女性にしてフランス人にしたらこうなるのではないかと思うくらいに似ていると思う。特に部屋が片付けられないところはそっくりで、案内された彼女の家も若いフランス人女性とは思えない(笑)。奥まった石造りの家で、隣には壁だけ残った廃墟の家があり、散らかり放題の庭に彼女の飼う二羽の鶏と、いつも遊びに来ている隣の猫と暮らしている。

早速、庭のテーブルで4人で食事。こうやって外で食事をする、パリでは経験できなかった南フランスの喜びだ。過去6年間、毎夏に訪れているこのアングレームには友達が沢山いて、自然にみんなの近況に話が及ぶ。マキシムもオロールもベジタリアンなので、野菜中心のディナーであるが、素材が良い。みんなで野菜の皮むきをし、ワインとチーズと合わせて質素だが心のこもったディナーをいただいた。

夜も更け、マキシムとエミリーちゃんが帰って二人だけになるとちょっと照れてしまう。が何もありませんよ。とりあえず、二人で再会を喜び合った。

(続く)

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第15話 7月8日(日曜日) 西へ

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朝起きると早速マキシムが迎えに来て、彼が居候している家に連れて行ってくれた。ここにいると車がないので自由に移動することができず、結局マキシムや皆のお世話にならなければいけない。誰かに予定を聞かれると、「マキシムに聞いてくれ」と言うのが口癖になっている(笑)。しばらくしてベーシストのパスカルが合流。彼らの案で、珍しくリハをした。私が書いた新曲6曲を通したが、初見なのに二人とも極めて良い演奏をする。いつも思うのだが、優秀なミュージシャンにはリハはいらないのではないか。

昨夜は暑くて寝られなくて寝坊して先ほど朝食を食べたばかりのエミリーちゃん以外のためにマキシムが、素晴らしいランチを作ってくれた。大きなチキンを丸ごとジャガイモの上に乗せてオーブンで焼いてくれた料理で、チキンの肉汁がジャガイモに浸って非常に美味しい。フランスは、特に南の方は何を食べても本当に美味しい。ありがたい!腹ごしらえをして、一路大西洋岸のリゾート地、フーラ(Fouras)へ。

2時間近くのドライブである。途中に、お酒のコニャックで世界的に有名になった街、そのなもコニャック(Cognac)を通る。数年前に私は興味があってこの街に行ってみた。お酒ではなくて、ここがフランスのルネサンス王、フランソワ一世の生まれ故郷だからである。ガイドブックにもほとんど載っていない街に行って、フランソワ一世の宮殿を探してみた。不思議なことに誰に聞いてもわからない。諦めずに聞き続けるとアメリカ人の観光客が、川沿いに石の門の跡があるからそれだと思うと教えてくれた。早速向かってみる。綺麗な川に綺麗な橋があり、確かにそこに古い城門がある。しばらく探してみると、ほとんど風化してしまった城らしき建物の窓と井戸の跡を見つけた。こりゃ、誰も知らないわけである。でも、フランソワ一世の誕生地なのであれば、沢山の人が訪れてもおかしくないと思うのだが、喜んでいたのは私だけであった(笑)。

さて、夕刻に綺麗な海沿いの街に着く。このFourasという街、大西洋岸に突き出ていて、ほぼ島になっている。まるでCape CodかMartha’s Vineyardに来た感じがする。家々は皆本当に綺麗で、それぞれに名前が付いている。なんともお洒落な海辺の街を昨年は自転車で案内してくれ、コンサート前にはみんなでビーチに出かけた。

今年は、時間がないのでビーチには行けないが、昨年に引き続き、この美しい街のある家でサロン・コンサートを開いてくれた。主催者に、こうしてまたコンサートを主催してくれることをお礼する。昨年もいたお客さんもちらほらいるし、新しく出会う人もいる。

ステージは野外で、照明も椅子も準備完了だ。街の人が沢山の食べ物を持ってきてくれて、テーブルに並べて、コンサートの合間にはみんなでそれを食べる。海辺の街の夏の夕刻の野外コンサートである。私が大のオイスター好きと言うので、いつもわざわざオイスターを買ってきてくれる。それを豪華なテーブルに並べてコンサートの合間に食べさせてくれる。うーん、ちょっとあり得ないご厚意だ。

演奏は上々だった。フレンチトリオは進化を遂げた。ダウンビートがしっかり噛み合う喜びを感じた。2セットたっぷりと演奏していつの間にか夜が更ける。頑張ってフランス語でステージトークをした。拍手もアンコールも嬉しかった。みなさんありがとう。

演奏が終わるとお決まりのパーティー。こいつが楽しい。深夜にまた機材を積み込んで、2時間かけて帰路につく。オロールの家についたのは、午前3時。寝ている彼女を起こさないようにそっと家に入って自分のベッドに滑り込む。

しばらく興奮で寝られないのはいつものこと。でも、開け放した窓から入る心地よい南フランスの風を感じながらいつの間にか眠りに落ちた。

人々にお世話になりっぱなしだ。本当にありがとう!

(続く)

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第16話 7月9日(月曜日) 古都アングレームの休日 その1

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深夜にコンサートから帰宅したので、当然朝寝坊をした。ホストのオロールはいつも置き手紙をダイニングテーブルに置いてくれる。そこには、「アングレームのシャラント川に歩いて行くと気持ち良いよ。で、川を歩くと日本のアニメの学校があるわよ。そこから、アングレームのダウンタウンにいけれるよ!」とあった。

早速、朝食を済ませて、カメラを持って出かける。もちろん、この街は初めてではないので、色々なところを知っているが、川に行ったことはなかった。27歳のソルボンヌ出身の彼女は農業政策の仕事をしているだけあって、自然が好きで、特に川が好きなようだ。日本でもアメリカでも、護岸工事をしてしまった川がほとんどだが、フランスは川岸が昔のままの形で流れている。そのせいか、深い緑の水の綺麗さと合間って、それだけで歴史を感じてしまう。

そのシャラント川に歴史的な橋がかかり、歴史的な建物が並ぶ。急にデザインが格好良いモダンな建物と古い石造りの城壁が見える。総合イメージの学校や、美術の学校に混じって、Human Academy, L’Ecole Japonaise de Manga, Anime, Jeux Videoというビルを見つけた。そうなのだ、このアングレームは実はヨーロッパでは有名な漫画のメッカで、多くのアニメスタジオがある。当然他の国からも多くの生徒が勉強に働きに来ている。道路標識が吹き出しで書かれているところに街ぐるみの気合いを感じる。いつぞか、イタリアから来たというアニメーターに出会った。そして、日本のアニメを学ぶために学校が、この古都アングレームにある。私はアニメファンではないのだが、きっとその道の方はご存知だと思うが、毎年アニメフェスティバルも行われているようだ。しかも、この学校、12世紀の修道院の跡地に建てられていて、いまでもその建物の石の壁が残されている。古都の遺産を大切にしながらきちんと現代のアートを研究するその姿勢は素晴らしい。村興しの格好のケースなのではないのか。

さて、歴史の街アングレームは、ヨーロッパの他の歴史的な街と同じように小高い丘の上に立つ城壁都市である。と言うことは、この修道院跡の学校から、街の中心地まで、かなりの丘を登らなければならない。いつもは車で何気なく通っているが、今日は歩いて登る。

息切れと戦いながら、ほぼ垂直の崖を30分登るとそこには、白い石の建物が綺麗に並ぶ中世の街がある。お腹が空いたので、一番近いベーカリーに入る。とても親切なおばさんがサンドイッチをくれた。パリに比べると、驚くほど安い!田舎はいいなぁ。

ここまで来ると、もう何度も見ているが、市役所に行かなくてはいけない。先ほどの学校が過去と現在の賜物であると言ったが、ここにも中世の砦と近世のネオゴシック宮殿が見事に調和した荘厳な市庁舎がある。なんとフランソワ一世の居城であったのだ。フランスの王朝はサリック法を厳守してイングランドとは違い男性存続である。従って、王朝はカペー家、バロア家、ブルボン家しかない。が、そのバロア王朝の最後のブランチをバロア・アングレームという。ちなみに、現在のニューヨークを発見した最初の西洋人は、このフランソワ一世の資金援助を受けたイタリア人のベラザノで、その故にニューヨークは最初ヌーベル・アングレームと呼ばれた。

荘厳な建物の前にある、女性の像はフランソワ一世の姉、マルガリータ・デュ・バロア(ナバール)である。ボッカチオのデカメロンから触発され、文才溢れる彼女は、ヘプタメロンという物語を著した。デカメロンと同じ形式で10人の貴族が洪水の避難先で一日一話を披露するという構成である。その登場人物一人一人に曲をつけるプロジェクトに取り組んだことがあった。そのうちの一曲が、フレンチトリオでレコーディングされCDに入ってリリースされている。Hircamという曲で方々で好評を頂いたが、フランス人の誰もが曲名は愚か、ヘプタメロンの存在を知らなかった(笑)。

さて、近くにBio(フランスではOraganicのことをこう呼ぶ)の店があったので、農業政策に従事するベジタリアンの彼女のために、Bioな野菜を買って料理をして差し上げようと、新鮮な野菜と果物を買ってバックパックに直接詰めて家に帰る。

彼女が仕事から帰ってきた。初めて見るドレスアップした彼女にビックリしながら、夕食を準備していると、いきなりガスが止まってしまった。どうやらプロパンガスがなくなってようだ。仕方ない、半煮えにパスタと生の野菜を並べて、庭で夕食。なんとかなるものだが、明日はプロパンガスを買いに行かねばならないようだ。

優しい彼女は、仕事の疲れにもかかわらず、食後に車で夕陽を見に連れて行ってくれた。近くに、Fléacというまた古い街があって、そこに12世紀のノードルダム聖堂と市役所と小さな城がある。二人で綺麗な街を散策する。さらに彼女は、近くに流れる溜息が出るほど美しい川に連れて行ってくれた。そして夜10時、二人で川縁に座り、沈む直前の陽の光を見事に反射する美しい川面を眺めていた。ちょっとロマンチック過ぎ(笑)。

(続く)

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第17話 7月10日(火曜日) 古都アングレームの休日 その2

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アングレームでのオフ二日目。流石に二日続きで炎天下の街に出るのも気がひけるので、今日は朝から寝坊してゆったりと過ごした。起きてくると例のごとく、テーブルにオロールからの置き手紙があって、彼女はランチタイムに帰ってきて、昨日無くなってしまったプロパンガスを買いに行くそうだ。庭には、朝彼女が頑張って外したタンクが置いてあった。

幼少の頃日本では母親が経営する下宿屋でプロパンガスを使っていたのだが、電話一本で業者が来て取り替えてくれていたはずだ。母親が自分でガスのタンクを買いに行って取り替える光景は見たことないが、フランスでは事情が違うようだ。27歳の女性が一人で、タンクを車に乗せて買いに行く?もちろん、手伝わない訳にはいかない。ホースからガスが溢れているのか、車の中がガス臭いので窓を開けながらスーパーのガススタンドに向かう。この街には、スーパーマーケットには必ずガススタンドがあり、よく見るとそこには、かなりたくさんのプロパンガスのブランドが並び、その種類の多さにびっくりする。プロパンはここでは非常に普通のエネルギーの形なのだ。残念ながらそのInterMercheという店には、それだけ沢山並んでいても彼女のブランドは無いそうなので、別の店に行くしかない。で、店を探してまた出かけて行く。Super Uという店にあった。レジでお金を払うとキーをくれる。それを持って無人の売り場に行き、自分でピックアップする。満タンのタンクは重いので、二人で運んで家に設置。フランスの田舎の暮らしを体験できる貴重な経験だ。

戻って二人で木陰でランチ。太陽の下は暑いのだが、日陰に入ると涼しい。温度と湿気のバランスが非常に良いからだろう。

彼女を職場に送り出して、私も仕事である。次のツアーの準備がもう始まっている。メールやソーシャルの対応に追われる。庭の木陰で仕事、悪くない。

ガスが使えるので、早速彼女のために夕飯を作ることにした。昨日と同じように街に出て、ベジタリアンの彼女のために、野菜を買う。今日は、「肉じゃが」の肉の無いやつ、「じゃが」を作る。今ではフランスでも誰もが使う醤油を使って非常に美味しいものができた。

さて、その夜は二つのイベントがある。私のフレンチトリオのドラマー、マキシムが自らサックスを吹いてリーダーを務めるブラスバンドのリハーサルを応援しにいき、その後、同じトリオのバーシスト、パスカルがクラリネットで、あの歴史的な建物である市庁舎でコンサートをする。彼らの音楽的な素養とマルチぶりは賞賛に値する。パスカルはドラムもマキシムが絶賛するほど上手い。私もギターやベースを弾くが、それでコンサートができるとは思えない。

マキシムのブラスバンドには知った顔が並ぶ。早速みんなが順番に挨拶をしてくれ、再会を喜び合う。で、市庁舎へ。壮大な舞台である。が、幸か不幸か、その時間に、W杯のフランス・ベルギー戦が行われ、市庁舎の隣の繁華街では応援の歓声がうるさい。それだけで、いつフランスがゴールを決めたかがわかるくらいだ。でも、彼らは根性でコンサートを成し遂げた。素晴らしい。私が見にきてくれたことをパスからが非常に喜んでくれた。一杯どうかと誘ったが、明日があるので帰るという。そうか、明日はフレンチトリオのコンサートだ。

コンサートと同じ頃に、ゲームも終了。日本を劇的に破ったベルギーを破って、フランスは決勝進出を決めた。このチーム、レ・ブルー(Les Bleus)という。アレ・レ・ブルー(Allez les bleus、英語でGo the blues)の歓声で街が俄かに騒がしくなった。オロールと二人で、街でお祝いだ。バーに入って外の席を見つけて地ビールをいただく。二人は英語で喋っているので、周りも彼女に英語で喋って彼女がフランス人であると知ってビックリし安心する。隣の若い男性二人、昨日私が行ったアニメ学校の生徒であった。

車でクラクションを鳴らして、旗を掲げるお決まりの光景がいつまでも続いたが、明日も仕事があるという彼女なので、家に帰ることに。歩いてたったの10分である。

帰ったら、何故かお腹が減って、先ほど作った「じゃが」を食べた。フランスのジャガイモは表彰状を出したいくらいに上手い。それに醤油味がよく合う。

今日はフランスの田舎町で、沢山の現地の友達とゆったりと過ごした。なんとも楽しく、貴重な経験であった。

(続く)

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第18話 7月11日(水曜日) ”真夏の夜の夢”

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ロンドンに到着してヨーロッパは今日で17日目、フランスの日程は後二泊三日を残すだけとなってしまった。何故か、ずっとヨーロッパに住んでいるような気がする。で、もっというとこの生活がずっと続いても全然平気どころか、とても幸せな時間だと思えて仕方ない。

が、昨日で遊びは終わり。今日は、アングレームでコンサート、明日はフーらで最後のコンサート、明後日は南フランスから一気にNYに戻り、明々後日はNYでギグである。体力が持つのか心配になってきた。が、やるしかない。

今日はその強行軍第一弾、アングレームでのコンサートである。この企画は、昨年夏から出ていた。ロンドンで私が訪れて感動したUKの超エリート校、Royal College of Musicを卒業したイギリス人の女性ピアニスト、レイチェルの家で彼女が私のコンサートを企画してくれていた。彼女は、イギリス人でありながら、フランスで生活し、ここで子供を育て(二人の名前は、WilliamとJoshua、スコットランド英雄と旧約聖書の主人公ヨシュアである)、流暢なフランス語で生活をする。もちろん私と話すときは英語にしてくれるので、非常にありがたい。

それに彼女、どういうわけか部類の歴史オタクで、いつも私と長々と話し込んでしまう。最初はみんなとの楽しい団欒でも、気がつくといつも二人で話し込んでしまっている(笑)。この日も、彼女の本棚には、ヘンリー8世と6人の妻の本があり、私が大ファンである、ロンドンの歴史学者、David Starkyの著書があり、コンサート前に歴史談義で盛り上がって、バンドメイトを呆れさせてしまった(笑)。

今回のコンサートはピアノがハンブルグ製スタインウェイBである。これは、ジャズのトリオを弾く際には一番良いピアノだと思う。音の深さと鋭さのバランスが素晴らしい。彼女のピアノは随分古いが、さすがコンサートピアニストだけあって、良いピアノを知っている。良い音で気持ちよく演奏できた。

革命後のフランスには、サロン文化が花咲いた。もはや宮殿ではなく、貴族たち、特にご婦人たちが自分たちの小さなタウンハウスに人を招き、そこで文学、芸術、音楽のパトロンとなっていったのだ。ピアニストのショパンも、文豪のバルザックも、英勇ナポレオンでさえそうして女性のパトロンに育てられた。したがって、こういうサロン・コンサートはフランスの芸術の原点とも言える。

さすがピアニストのレイチェルの取り巻きだけあって、皆芸術家が多い。私の楽曲にも食らいついてきているのがよくわかって気持ちが良い。サロンのコンサートというので、通常の形式の2セットではなく、1時間強のコンサート形式にした。私は、実はクラブよりもコンサートタイプのピアニストのようで、こちらの方が良い時もある。特に私の楽曲はコンサート向きかもしれない。

演奏が終わると、例によって庭でパーティー。まだ日が高い。隣に綺麗な草原があり、花が綺麗に咲いている。懐かしい顔とは旧友を温め、新しい人とは良い友人になった。料理が美味しい!それに、この気候の良さ。南フランス万歳である。こういうパーティーの度に、「もっとフランス語を勉強するばよかった、よし帰ったら練習すぞ」と誓うのだが、家に帰るとすっかり忘れてしまう!(笑)ごめんなさい!

レイチェルという女性は、スコットランドとフランスの血が入ったイギリス人で、ブリティッシュイングリッシュを喋る。が、普段は流暢なフランス語で地元の人たちと溶け込んでいる。その気品のある顔には、彼女が貴族の末裔であることが納得できる。初めて聞いたのだが、彼女の貴族の血筋には、大ヒットドラマDownton Abbeyの実際の舞台となったハイクリーブ城で馬蹄係をしていた祖父がいるそうだ。

さて、パーティーもお開きになり、機材も全部片つけて、さて家に帰るところで、何やらレイチェルがピアノを弾き始めた。最近はまっているミュージカル「Chicago」のナンバーである。それにつられて、彼女の生徒、シンガーのロクサン、いろいろな人の発表会になってしまった。昨年から友人になった、女性シンガーロクサンがイタリアに血を引くことがわかり、私はイタリア・オペラのアリアを彼女と演奏した。有名な「o mio babbino caro」とLa Bohemeから「Musetta's Waltz (Quando m'en vo')」であった。ジャズピアニストが弾くPucciniがプロのクラシック音楽家の耳にどう聞こえたかは知りたいとは思わないが(笑)、余興としては良かったと思う。人がハッピーになってくれること、それが音楽のミッションだと思う。

ここに集う人たち、心から敬愛する。素晴らしい「真夏の夜の夢」だった。

(続く)

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第19話 7月12&13日 最後の二日は強行軍

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7月12日(木曜日)

前夜の素晴らしいコンサートとパーティーの余韻を感じながらぐっすり眠りこけたいところであるが、残念ながら今夜のコンサートの後は移動。というので、4日間お世話になったホストのオロールにお別れを言いたくて、早く起きた。寝ぼけ眼で彼女にお別れをして再びベッドに戻る。再び目が覚めたときには、太陽がさんさんと輝き、彼女はいなかった。またしても置き手紙。ありがとう!と返事を書いて、荷物をまとめ、庭の鶏と隣の猫に挨拶して、家を出る。何故か寂しい。

さて、今日は最後のコンサートが引き続きフーラの街である。着いてから思い出した。この会場は去年も来た。綺麗な花が咲く綺麗な会場である。今夜は、いつものようにトリオで演奏したが、最後の三曲は地元の二人のミュージシャン、女性ボーカリストとギタリストが合流。

演奏が終わったら、例のように食べて飲んでの大パーティだ。昨年も一昨年もきてくれている人、来年は是非私にコンサートをホストさせてくれと申し出てくれる人も現れて本当に嬉しい限りだ。フランスの田舎なのだが、意外にインターナショナルで、南フランスでリタイヤ生活を楽しむイギリス人夫婦がいて、ロンドン帰りの私とロンドンの話で盛り上がった。ロンドンには毎月、ニューヨークには時々行くという。今度のロンドンギグには必ず来てくれるという。 ロンドンのポーランドの人たちからいただいたお酒、ズブロッカでトリオの打ち上げを乾杯。パスカルは大の酒好きで、その喜びようと言ったらまるで子供だった。もちろんボトルは彼に「預けた」が、直ぐに空になるに決まっている。でもプレゼントしていただいた方に、こうしてフランスで喜んで飲ませていただいたことを報告したら、そちらもたいそう喜んでくれた。ポーランドの人は基本的にフランスが好きである。ルイ15世の王妃はポーランドから来たMarie Leszczynska、したがってブルボン王朝にはポーランドの血が流れている。ショパンもポーランドからパリにやって来た。英雄ポロネーズのポロネーズは、フランス語のPolishである。

パーティーが一段落すると膨大な機材を片つける。何台かの車に一通り積み込んで、さあ解散かと思ったら。何やら主催者がシャンパーンのボトルを開ける。昨日に引き続き、本当の身内での打ち上げはこれからなのだ。フランス語での会話には全部はついていけないが、一緒にいて楽しいことには変わらない。とっぷりと夜が更けて午前様でパスカルの家に帰宅。

7月13日(金曜日)

昨夜は午前3時ベッドに入ったのに、今朝は7時に無理やり起きる。早く起こしてしまってパスカルには申し訳ない。ご夫婦に朝食をいただいて、車でLa RochelleのTGVの駅まで送っていただく。

La Rochelleはパスカルによると、昔は奴隷の三角貿易で栄えた悪名高き街だそうだ。私の知る歴史では、フランスの新教徒(ユグノー)たちの牙城であったが、ルイ14世のリシュリュー総裁がユグノーを包囲した。その包囲を逃れて新大陸にやってきた人たちが作った街が、ニューヨークのNew Rochelle、私はそこに去年まで住んでいた。そこにも何かの縁を感じる。が、今のLa Rochelleはその暗い歴史とは裏腹に、とても美しく活気のある海辺の街だ。

昨年はほぼ同じコースを辿ってTGVでパリに戻った。フランスには小田急線よろしく、途中で切り離して、それぞれが別の目的地に向かう列車がある。昨年は乗る電車の車両番号をどうやって見つけたら良いのかわからずに、あわや切り離されて全然違うところに行くところだったのが、たまたま食堂車で会った車掌さんのおかげでそれが判明し、次の駅で降りて、重い荷物を引きずって1分間で16両以上の距離をプラットホームを駆け抜けた。 (関連記事

でも、今年は去年の経験を生かして、少ない荷物と多少の知識でゆっくりと車両を確認して間違いなく電車に乗ることができた。年の功とはこういうことを言うのだろうか。

4時間の快適なTGVの旅の末、午後一時過ぎに無事シャルル・ドゥ・ゴール空港に到着。本当にホッとした、これで飛行機さえ飛べば明日のNYのギグに間に合う。

随分と長いチェックイン、セキュリティーを終えて搭乗ロビーにやって来ると、これも去年と同様、搭乗ゲートにピアノが置いてある。パリは、北駅でピアノで出迎えてくれて、帰りは空港でピアノで送り出してくれる。北駅では、フランスに敬意を表してマルセイエーズを弾いたが、空港では感謝の気持ちを込めて即興でバラードを弾いた。ロンドンから始まって、パリ、南フランスと続いたドラマチックな20日は、20分かと思うくらいに楽しく充実した旅だった。自分でも理解するのに時間がかかりそうだ。本当に本当にありがとう!

(終わり)

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Camera: Canon SL2 & iPhone X
Lens: Canon 24-70mm f/2.8L, Canon 17-40mm f/4.0L, Canon 2.0x EF Extender and Canon EF-S 10-18mm f/4.5-5.6 IS STM
Tripod: Manfrotto Lightweight Element Traveler Big Red